コラム

地方の発信は届いているのか?

fundo編集部 ·

連載 地方の土台 / 第1回

地方の発信は
届いているのか?

届いてはいる。ただし、人口には効かない。地方創生の話を、いちど数字から始めてみる。

地方の会議に出ると、だいたい同じ場所に着地する。「うちには魅力がある。あとは伝え方の問題だ」。もう何度立ち会ったか分からない。

で、いつも思う。発信した結果、どうなったんだろう。

先に言っておくと、この連載は「発信なんて無駄だ」という話ではない。むしろ逆で、発信はちゃんと成功している。国レベルで、大成功と言っていい。問題はそこじゃない。

インバウンドは、日本が本気で成功させた数少ない政策だ

2003年、小泉政権が観光立国宣言を出したとき、訪日外国人は年間521万人だった。それが2025年、4,268万人。22年で約8倍である。消費額は9兆4,559億円で、これは輸出産業として自動車に次ぐ規模だ。

正直、これはすごい。地方創生系の施策で、ここまで目標に向かって数字が動いたものは他にほとんどない。しかも地方部の宿泊シェアも伸びていて、東京と京都だけの話でもなくなってきている。

4,268万人
2025年の訪日外国人旅行者数。過去最高。
9.5兆円
同年のインバウンド消費額。輸出産業として自動車に次ぐ。
約8
観光立国宣言の2003年(521万人)からの伸び。

ここまで見ると、地方創生はうまくいっているように見える。ところが、同じ時期の別の数字を並べると、話がおかしくなる。

同じ年、人口は過去最大のペースで減った

2025年10月時点の国勢調査速報値。人口が増えた都道府県は、東京と沖縄の2つだけだった。残り45道府県は全部マイナス。

秋田県は5年で7万7,402人減、減少率8.1%。6回連続で全国最大。県内25市町村、ひとつの例外もなく全部減った。

住民基本台帳のほうを見ても、日本人人口は前年比90万8,574人減で、減少数・減少率ともに過去最大を更新している。

つまりこの国は、観光客の誘致には成功しながら、住む人の減少は止められていない。しかも同時進行で。この22年間、発信の量も質も明らかに上がったのに、人口曲線のほうはまったく反応していない。

「発信が下手だから効かない」という説明は、ここで成立しなくなる。上手にやっても、この結果なのだ。

「関係人口があるじゃないか」への返事

この話をすると、ほぼ確実に返ってくる言葉がある。関係人口だ。

移住でも観光でもない、その中間。継続的に地域と関わる人。定住はしていないが、祭りを手伝い、産品を買い、たまに訪れ、SNSで応援する。人口が減っても、関わる人が増えれば地域はもつ。そういう理屈である。

概念としてはよくできていると思う。数字も出ている。国土交通省の調査では、全国の18歳以上約1億615万人のうち、約1,827万人が関係人口(訪問系)と推計された。2割弱だ。三大都市圏から地方部へ約448万人が動いているとされる。民間調査では、関係人口のうち約20%に移住意欲があるという結果もある。

心強い数字である。1,800万人が地方に関わっていて、そのうち2割に移住の意欲がある。単純計算で360万人だ。

ただ、前の節と同じ問題を抱えている。1,827万人の関係人口が存在する国で、45道府県の人口が減っている。意欲があることと、住民票を移すことの間には、深い川がある。そして関係人口の統計は、その川を渡った人数を数えていない。

興味深いのは、国交省自身がこの限界に気づいていることだ。関係人口の目標について、単純に人数を増やすことにとどまらず、企画や運営に携わる人、副業などで地域の経済活動に直接寄与する人の割合を見るべきだ、という趣旨のことを書いている。要するに「人数を数えても意味がない」と、旗を振っている側が認めている。

「長い目で見る必要がある」と言うが、もう10年だ

この指摘をすると、次はこう返ってくる。関係人口は種まきだから、長い目で見る必要がある、と。

それは分かる。ただ、そろそろ答え合わせをしていい頃だとも思う。

関係人口という概念の10年

2016
高橋博之『都市と地方をかきまぜる』、指出一正『ぼくらは地方で幸せを見つける』が刊行され、言葉が広まり始める。
2017
田中輝美『関係人口をつくる』刊行。総務省「これからの移住・交流施策のあり方に関する検討会」で政策概念として採用される。
2018
総務省が「関係人口創出事業」を開始。以降、国の予算事業として継続。
2026
概念の登場から10年、国の事業開始から8年。東京圏は30年連続の転入超過。

10年である。中期経営計画なら2周してお釣りがくる。国の事業として予算がついてからも8年経っている。

この間、東京圏は転入超過を続けた。2025年も12万3,534人の転入超過で、日本人に限れば30年連続だ。関係人口という概念が生まれ、政策になり、全国の自治体が取り組んだ10年間、人の流れの向きは一度も変わっていない。

種まきだから長い目で、と言い続けられる期間には限度がある。10年やって芽が出ないなら、まいた種の問題か、土の問題か、どちらかを疑うべきだ。この連載は、土のほうを疑っている。

そもそも、人はなぜ引っ越すのか

ここで、いちばん身も蓋もないデータを出す。国立社会保障・人口問題研究所の人口移動調査、直近は2023年の第9回だ。過去5年間に現在の住所へ移った理由を聞いている。

男性は「住宅を主とする理由」が38.0%で最多、次いで「職業上の理由」19.1%、「結婚・離婚」8.0%。女性は「住宅」39.7%、「家族の移動に伴って」12.8%、「結婚・離婚」9.8%という順番になる。

この選択肢の並びを見て、気づくことがある。「その土地に魅力を感じたから」に相当する項目が、上位に存在しない。人が引っ越す理由は、家、仕事、結婚、そして家族の都合。全部、自分の生活の事情である。

私の身の回りを見てもそうだ。移住した人の理由を聞くと、結局は結婚だったり、親の介護だったり、配偶者の転勤だったりする。景色が良かったから、人が温かかったから、という話は、後づけの理由としては出てくるが、決め手として出てくることはまずない。

とくに既婚者はそうで、移住は個人の判断ではなく世帯の交渉になる。配偶者の仕事、子どもの学校、親の距離。移住フェアのパンフレットが入り込む余地は、正直あまりない。どうしようもない事情が動かない限り、動かない。

効かせたいなら、狙うべきは20代しかない

じゃあ発信を誰に向けるのか。世帯の事情に縛られていない層、つまり若い単身者しかない。そして人口減少の観点でも、そこが正解になる。

2025年の人口移動報告を見ると、東京都の転入超過6万5,219人のうち、20〜24歳だけで5万7,263人。そして0〜9歳と35歳以上は、むしろ転出が超過している。東京圏で見ても、転入超過数は20〜24歳が8万443人、25〜29歳が2万3,546人、15〜19歳が2万1,469人。

12.4万人
2025年、東京圏の転入超過数(外国人含む)。
12.5万人
うち15〜29歳の転入超過だけを足した数。つまり他の全年齢は、差し引きでマイナス。

東京圏の一極集中は、全世代が押し寄せている現象ではない。10代後半から20代の移動だけで説明がつく。それ以外の年代は、むしろ東京から出ている。

ということは、地方が本当に向き合うべき相手も、そこしかない。18歳の進学と、22歳の就職。この2回の分岐で出ていった人は、多くが戻らない。

そして厄介なことに、この年代が動く理由は、大学と仕事である。移動理由の調査でも「職業上の理由」は男性で2番目に大きい。ここは発信では埋まらない領域だ。行きたい大学がなければ出ていくし、就きたい仕事がなければ戻らない。動画の再生回数では、この2つは代替できない。

だから、発信が最適解かと言われると、そうは思わない。発信を否定するのではなく、発信と同時にやらなければいけないことがある、というのが正確な言い方だと思う。20代が選べる仕事を、実際につくるということだ。

成功の極致で何が起きたか──ニセコの場合

ここで、実際に仕事が生まれた地域の話をしておきたい。ニセコだ。倶知安、ニセコ、蘭越の3町。インバウンド政策の最大の成功例と言っていい。

何が起きているか。時給2,000円超の求人が普通になった。東京より高い。土地は1平方メートル70万円を超えるところがあり、価格は10年前の倍。札幌の高級住宅地より高い場所すらある。ニセコ町の人口は5年で5.8%増えた。倶知安町にいたっては、10月時点で1,519人だった外国籍住民が、1月には4,325人になる。冬に町の人口構成そのものが変わる。

数字だけ見れば、地方創生の勝利宣言ができそうな話である。

ところが同じ町で、こういうことが起きている。地元のスーパーは時給を1,220円まで上げたが、必要な人数の3分の1しか採れない。総菜づくりは追いつかず、夜のレジも足りない。郵便局は窓口の契約社員が集まらず、他局からの応援でしのいでいる。そして介護事業所が、人を集められずに閉鎖した。

リゾートが時給2,000円を出せるのは、外から来た客が落とす金で回っているからだ。介護報酬は国が決めるし、スーパーの粗利には限界がある。同じ町の中で、外貨を稼げる産業と、地元の暮らしを支える産業の間に、埋められない賃金差ができた。

発信は効いた。効きすぎた。そして、暮らしを支える側が先に壊れた。仕事をつくれば済む、という単純な話でもないということだ。

そして、発信しすぎると行きたくなくなる

もうひとつ、発信という手段そのものに埋め込まれた厄介な性質がある。知られすぎた場所には、人は行かなくなる。

大阪工業大学の研究に、観光地の非日常性を訪問頻度から捉えたものがある。要点はシンプルで、ある観光地を訪れる頻度が高くなるほど、その場所への期待感や探求心は減少し、代わりに生活感や安心感が高まる。これを観光地の「日常化」と呼んでいる。訪問頻度が低いほど、非日常性は高い。

感覚的にも分かる話だと思う。東京の人は東京タワーに上らないし、京都の人は清水寺に行かない。いつでも行けるからだ。「いつでも行ける」は、「行かない」とほぼ同義である。

地理学には、マス・ツーリズムによって観光地が均質化し、その場所らしさを失う「没場所性」という概念もある。発信して、知られて、来やすくなって、どこも同じ顔になる。その先に待っているのは、行く理由の消滅だ。

この観点で見ると、日本がインバウンドで勝っている理由も少し違って見える。日本は、発信されているのに、まだ行きづらい。言語は難しく、距離は遠く、文化の読み解きに手間がかかる。知られてはいるが、踏破された気にはならない。認知は十分にあるのに、非日常性が保たれている。この微妙なバランスの上に立っているのだと思う。

だとすると、地方が「気軽に来てください」「親しみやすい町です」と発信するのは、自分で非日常性を削る行為になる。近くて、安くて、いつでも行けて、よく知っている。その4つが揃った場所に、人は積極的には行かない。発信の量を増やすほど不利になる領域が、確実に存在する。

じゃあ、発信は何に使うのか

やめる必要はないと思っている。宛先を変えればいい。

移住希望者に向けて「豊かな自然と人の温かさ」を発信するのをやめて、県外の企業と消費者に向けて「うちの製品を買ってくれ」と発信する。観光客を呼ぶのではなく、取引先を呼ぶ。

この宛先なら、さっきの「日常化」の罠にもかからない。商品を買うときに非日常性はいらないし、むしろ何度も買ってもらったほうがいい。人を呼ぶ発信は飽きられるが、物を売る発信は飽きられない。反復が価値になる領域に、発信を移すということだ。

そして売れれば、稼ぎが増える。稼ぎが増えれば、20代が選べる仕事が増える。遠回りに見えて、たぶんこちらのほうが早い。これは思いつきではなく、地方でそれをやって産地が息を吹き返した例がある。その話は最終回でする。

その前に、片づけておかないといけない問いがある。そもそも、人はなぜその土地に住むのか。魅力があるからではない、というのが私の見方だ。

発信は失敗していない。 成功したうえで、人口には効いていない。
第2回
人が住むかどうかは、魅力では決まらない

出典:日本政府観光局(JNTO)訪日外客統計/観光庁「インバウンド消費動向調査」2025年暦年速報/総務省「令和7年国勢調査 速報値」/総務省「住民基本台帳に基づく人口、人口動態及び世帯数」/総務省「住民基本台帳人口移動報告 2025年結果」/国立社会保障・人口問題研究所「第9回人口移動調査」(2023年)/国土交通省「地域との関わりについてのアンケート」および「ライフスタイルの多様化と関係人口に関する懇談会 最終とりまとめ」/総務省「これからの移住・交流施策のあり方に関する検討会 報告書」/ブランド総合研究所「関係人口の意識調査」/梶田祥之介・田中一成「GISを用いた観光地の非日常性」/E.レルフの場所論に関する各論考/北海道新聞・UHB北海道文化放送の各報道。

連載 地方の土台 — 第1回