土台は、誰が作るのか?
連載 地方の土台 / 第4回・最終回
土台は、
誰がつくるのか
一人ではできない。ただし、一人からしか始まらない。そして、全国のトレンドに逆らう覚悟がいる。
ここまで3回かけて、こういう話をしてきた。発信は成功している。ただし人口には効かない。人が住むかどうかは魅力ではなく生活の土台で決まる。そして起業支援でもファンドでも、その土台はできない。
じゃあ、誰がつくるのか。最終回はそこを書く。
賃金は、行政の号令では上がらない
まず、はっきりさせておきたいことがある。土台の中身のうち、賃金については行政にほぼ打つ手がない。
最低賃金は審議会が決めるが、あれは実態の追認に近い。地域の企業が払える水準を大きく超えては上げられないし、無理に上げれば潰れる。実際、秋田の発効日が全国でいちばん遅かったのも、企業側の準備期間を確保するためだった。
つまり、賃金を上げられるのは、稼いだ会社だけだ。ここは避けようがない。だから土台づくりの本体は、行政の施策ではなく企業の経営のほうにある。
ただし、一社が単価を上げたところで、地域の水準は動かない。数社が同時に動いて、初めて動く。ここが難しいところで、「うちだけ頑張る」では届かないし、「みんなでやろう」では誰も動かない。
この矛盾を、実際に解いた産地がある。
今治タオルが実際にやったこと
愛媛県今治市。タオルの産地である。いまでこそ地域ブランドの代名詞みたいな扱いだが、20年前はまったく違った。
安い輸入品に押され、多くのメーカーが赤字。国にセーフガードの発動を要請するところまで追い込まれていた。品質には自信があるのに、価格競争から抜け出せない。地方の中小企業が抱える問題の、ほぼ全部が詰まっている状態だ。
2006年、今治商工会議所と工業組合と市が組んで、経済産業省の事業を使ってプロジェクトが始まる。佐藤可士和氏が入り、あの赤・青・白のロゴができた。ここまでは有名な話である。
大事なのは、その中身のほうだ。
ポイントは3つある
ひとつ、発信の前に基準をつくった。ロゴを配って終わりではなく、独自の品質基準を定め、それを満たしたものだけがロゴを使える仕組みにした。タオルソムリエという資格制度までつくって、売り場で品質を説明できる人間を約3,900人育てている。順番として、まず中身の定義があって、そのあとに発信が来ている。
ふたつ、一社ではなく産地で束ねた。116社が競合しながら同じロゴを使う。当初は当然、抵抗があった。ライバルと同じマークを付けるのは嫌だ、と。それでも束ねたことで、1社では絶対に出せない規模の広告と流通交渉ができるようになった。3〜4年経って認知度が上がり、生産量がプラスに転じたところで、ようやく全社が同じ方向を向いたという。
みっつ、発信の宛先が域外だった。移住希望者でも観光客でもない。全国の消費者と、百貨店や量販店のバイヤーである。「今治に住んでください」ではなく「今治のタオルを買ってください」。第1回で書いた、発信の宛先を変えるという話は、これのことだ。
結果として、単価が上がり、生産量が戻り、産地が残った。もちろん万能ではない。ブランド化の恩恵が全社に均等に行き渡ったわけではなく、海外生産に軸を移した企業との間で戦略のズレが生じている、という研究もある。ただ、消える予定だった産地が消えなかったのは事実だ。
その前に、「暮らしやすさ」を定義し直す
言葉を整理しておきたい。地方の議論で使われる「暮らしやすさ」は、だいたい中身がずれている。
人が少なくて、緑がいっぱいで、子どもが遊べる場所があって、通勤が10分。パンフレットに載るのはこれだ。悪くはない。ただ、これは暮らしやすさというより、環境の話である。第2回の図で言えば、上の段に属する。
私が言う暮らしやすさは、もっと即物的だ。
具合が悪くなったら、その日のうちに医者にかかれる。合わなければ別の医者を選べる。産むと決めたら、町の中で産める。働けば、家賃と食費を払ってなお貯金が残る賃金がある。ご飯も、服も、子どもの上履きも、思い立ったときに普通に買える。
並べてみると、驚くほど当たり前だ。褒められる要素がひとつもない。東京にいたころは、これを暮らしやすさだと認識すらしていなかった。
ただ、人が移り住む判断ができるのは、この水準が満たされてからである。緑が多いから移住する人はいない。緑が多くて、なおかつこれが全部ある町なら、移住する人がいる。順番はいつもこれだ。
そのためには、一社では足りない
では、この当たり前をどうやって用意するか。
答えははっきりしている。その地域で稼げる仕事が、まとまった数だけ必要になる。一社が単価を上げても、地域の医者は増えないし、店も増えない。「ここでなら稼げる」と地域の人が思える状態、つまり選べるだけの会社がある状態まで来て、初めて人口の側が動く。
今治が116社でロゴを共有したのは、その意味でも正しかった。1社のブランドではなく産地のブランドにしたから、産地に人が残った。
現在進行形で分かりやすいのが、熊本県菊陽町だ。TSMCが2021年に進出を表明し、2024年に第一工場が稼働した。九州フィナンシャルグループの試算では、2022年からの10年間で11兆2,000億円の経済波及効果。熊本県の年間県内総生産の約7倍にあたる。2022年の地価調査では、菊陽町の工業地の上昇率31.6%が全国1位になった。隣の大津町も、2024年の基準地価で商業地・工業地の上昇率が全国1位である。
ここで見てほしいのは、雇用の数え方だ。TSMC単体の雇用は約1,700人。ところが進出・増設を予定する関連企業まで含めると、約7,500人になる。もともと九州には半導体関連企業が1,000社以上集積していて、その上に大きな一社が乗った。強い1社と、そこに紐づく企業群。この形になって初めて、地域の賃金水準が動く。
そして地元金融機関の資料には、住宅地域が増えれば医療・小売・飲食・サービス業まで波及する、と書かれている。第1回のニセコと真逆だ。ニセコでは介護事業所が閉鎖したのに、菊陽では医療への波及が期待されている。
何が違うのか。観光の裾野は季節性があって、賃金の上限が低い。製造業の裾野は通年で、単価が高く、しかも1,000社規模で連なる。同じ「外から稼ぐ」でも、裾野の厚みがまったく違う。
だとすると、強い企業を誘致するのも一つの手だと思う。地元から育てるのが本筋だという意見はよく分かるが、20年待てるかというと、待てない。誘致と育成、両方やるしかない。
もちろん菊陽にも副作用は出ていて、通勤ラッシュの慢性的な渋滞が住民の悩みになっている。地価が上がりすぎればニセコと同じ問題も起きうる。ただ、これは土台ができたあとに出てくる問題だ。土台がないまま人が減り続ける問題より、まだ扱いやすい。
秋田に置き換えると、何をやることになるのか
ここまでを踏まえて、私がやるべきだと思っていることは3つある。
既にある会社の単価を上げる。新しく会社をつくるより、いまある会社が同じ製品を高く売れるようにするほうが早い。技術も設備も顧客もすでにある。足りないのは値付けと売り先の設計だけ、という会社が本当に多い。
域外に顧客を持つ。県内で売り合っている限り、地域全体の稼ぎは増えない。人口が減る市場でシェアを奪い合うのは、消耗戦にしかならない。県外・海外に売って初めて、地域に外から金が入る。
畳ませない。後継者がいないという理由だけで、黒字の会社が消えている。ここは承継とM&Aの領域で、私の本業とも直接つながる。新しく1社つくるのと、消えかけた1社を残すのは、地域にとっては同じ価値がある。むしろ後者のほうが、雇用も技術もそのまま残る分だけ効率がいい。
どれも地味だ。動画一本より何十倍も時間がかかるし、再生回数は伸びないし、記者会見も開けない。ただ、賃金と雇用に直接効くのはこの3つだと思っている。
じゃあ、何社必要なのか
ここまで「何社も必要だ」と書いてきたが、何社なのか。桁だけでも出しておかないと、ただの精神論になる。粗い計算をしてみる。
秋田県の就業者数は約46万人(2020年国勢調査で463,894人)。最低賃金の月額換算で見た賃金水準の差は、全国平均に対して月14,940円、年にして約18万円だった。就業者全員をそこまで押し上げるとすると、必要な年間原資は約830億円。東京と同水準まで行こうとすると、年間約1,800億円になる。
これを会社に換算する。年商10億円で、付加価値率30%、そのうち半分を人件費に回す会社を1社と数えると、1社あたり年1.5億円の原資になる。
先に断っておくと、この計算はかなり乱暴だ。就業者全員の賃金が一律に上がる前提だし、新しく生まれる会社と消えていく会社の入れ替わりも無視している。精密な推計として出しているのではなく、桁を確かめるための計算だと思ってほしい。
それでも、桁が分かると景色が変わる。必要なのは3社や5社ではない。数百社である。
比較対象を並べる。今治タオルの産地は116社。西粟倉村のローカルベンチャーは約50社。どちらも全国区の成功例で、それでこの規模だ。秋田で必要な550社は、今治の産地を5つつくるのとほぼ同じ意味になる。
別の見方もできる。秋田県の製造業の事業所は1,535。ここが1事業所あたり平均8.5億円を出荷している。つまり「県内の製造業のうち3社に1社が、域外できちんと稼げる会社に変わる」くらいのイメージだ。ゼロから550社つくるより、この読み替えのほうが現実味がある。
正直に書くと、それでも絵空事の側に片足を突っ込んでいる自覚はある。20年かけても届かないかもしれない。
ただ、目標の桁を知らないまま走るほうが、よほど危ない。3社支援して手応えを感じ、10社支援して達成感を得て、それで終わる。桁を知っていれば、10社は0.02の進捗だと分かる。少なくとも、自分がどこにいるかは分かる。
で、一人でできるのか
できない。これは正直に書いておく。
一社の単価が上がっても、地域の平均賃金は動かない。医療の再配置は完全に行政と大学の領域だし、承継も金融機関が動かないと成立しない。今治だって、商工会議所と組合と市と国の事業が全部乗ってようやく回った話だ。
ただ、今治のプロジェクトも、最初は「このままでは産地が消える」と考えた少数から始まっている。116社が最初から手を挙げたわけではない。西粟倉の百年の森林構想も、村長と数人の発想から始まっている。束ねる話は、必ず一人か数人から始まる。
だから、順番はこうなる。まず一社をちゃんと稼がせる。稼いだ実例が出れば、次の会社が話を聞く。数社が動けば、金融機関と行政が乗ってくる。そこまで来て初めて、賃金という土台が動き出す。
ここまで来たら、発信の出番だ。今治がロゴを打ち出したのは、品質基準をつくったあとだった。順番を守れば、発信はちゃんと効く。第1回で書いたとおり、発信そのものは何も悪くない。使う場所を間違えていただけだ。
全国のトレンドに、逆行するということ
最後に、覚悟の話をしておきたい。
人口減少は、日本全体のトレンドだ。第1回で書いたとおり、2025年に人口が増えた都道府県は東京と沖縄だけで、日本人人口は過去最大の減少幅を更新した。つまり普通のことを普通にやっていれば、地域は普通に減る。減らないほうが異常なのだ。
ここを直視しないまま「人口減少に歯止めをかける」と言うから、施策が中途半端になる。動画を1本増やす。移住相談の窓口を1つ増やす。返礼品を1品足す。全国規模の流れに逆らおうとしているのに、投じているものが小さすぎる。
逆行するというのは、そういうことではない。医療にかかれて、賃金が払えて、日用品が買えて、子どもを産める。その全部が揃った町を、全国平均を明確に上回る水準でつくるということだ。よそより少しマシ、では足りない。減っていく流れに逆らうのだから、誰が見ても「ここは違う」と分かるところまで持っていく必要がある。
理想の街をつくる覚悟がいる。大げさに聞こえるかもしれないが、人口動態という巨大な流れに逆らおうとしているのだから、これくらいの言葉でちょうどいいと思っている。
最後に
この連載で言いたかったことは、結局ひとつに集約される。
地方創生は、間違ったことをやっているのではない。順番を間違えている。土台がないところに上物を建てようとして、建たないから発信をもっと頑張ろうとしている。そこを一段下げて、医療と賃金という誰も褒めてくれない層から手をつけ直す。
時間はかかる。5年や10年では終わらない。西粟倉は構想から成果まで15年以上、今治も10年以上かけている。ただ、その間ずっと動画をつくり続けるよりは、たぶん近道だ。
私は、そういう会社を増やしたいと思っている。地域の外から稼げて、周りに仕事を配れて、若い人が「ここでなら稼げる」と思える会社。一社では足りないから、何社もやる。それが結果として、医療や店や賃金の土台になる。ずいぶん遠回りに見えるが、私が手を出せる場所はそこだ。
『ジョジョの奇妙な冒険』第5部に、アバッキオの元同僚の警官が出てくる。結果だけを求めていると人は近道をしたがる、大切なのは真実に向かおうとする意志だ、という趣旨のことを言ったあと、彼はこう続ける。
いつかはたどり着くだろう? 向かっているわけだからな……違うかい?
550社という数字は、たぶん私の代では終わらない。それでも向かっていれば近づくし、向かっていなければ絶対に近づかない。そこだけは、計算しなくても分かる。
魅力は、発信するものではない。 暮らせる場所に、勝手に生えるものだ。
出典:今治タオル工業組合および今治商工会議所の公表資料/経済産業省JAPANブランド育成支援事業関連資料/「今治タオルのブランド化と産地維持」(地理学関連文献)/中小企業庁「2025年版 中小企業白書」/厚生労働省「令和7年度 地域別最低賃金 全国一覧」/九州フィナンシャルグループおよび熊本銀行の公表試算・資料/熊本県地価調査、国土交通省地価公示・都道府県地価調査/総務省「令和7年国勢調査 速報値」/総務省「令和2年国勢調査」/秋田県「2021年 秋田県の工業(令和3年経済センサス-活動調査)」/各報道。作中引用は荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』第5部より。